2010




「想い」 S80 キャンバスに油彩
「想い」
 蓮の花にたたずむミツバチを描きました。
 花の拡大図は性的な要素をはらみますが、一時のエロティシズムよりも、その背後にある長い時間と関係するような生命力をより強く意識します。
 花は受粉を手伝ってもらうため、甘い香りや艶やかな色彩で、虫たちを誘います。一方、ミツバチは花の蜜を分けてもらい、巣に持ち帰って蜂たちの命の糧とします。花やミツバチがどこまで、それを把握し意識ているのかは知りませんが、そこで行われている命の交換、2つの他者が偶然出会い、知らない間に、何かを交換している、ということは私たちの生活にもありふれた事です。
 あなたの一部と私の一部が入れ替わる、というと大げさですが、ミクロの世界ではたしかに起こっているようだし、思考に関しては対話がなされれば、より頻繁にそれは起こります。どうして私が私でいなくちゃいけないのか、そもそも私というものを定義しているのは自分であったり、社会であったりするけれども、例えば人の意識は、本来、多数の層であり、そこにはまだアクセスできない層もある。何かに一つの役割だけ見るのではなく、様々な視点から想いをはせます。
 また、一人の人間の境界線は、この皮膚で終わっているわけではない、声もあるし、動く事もできる、書いたり、描いたり、様々な表現方法、そして眼鏡や自動車、飛行機、戦車など、機械で人は機能を拡張する事さえできます。それで、何処までが自分で、どこまで責任を持ちえるのだろうと。自分の身体にはみな責任を持っていて、持てない人はどこかに閉じ込めらたりする。
一枚の絵は、材料に関しては、様々の職人、技術業者などの手を借りますが、描くという作業はだいたい一人でできるので、責任を持って、何をどうやるか、全部自分で決められる、絵画のそういう部分はとても気に入っています。
「太陽の光は私たちをあたためる」 S50号 キャンバスに油彩 「太陽の光は私たちをあたためる」
 太陽は、とても遠くにあるのに、陽が射すと、本当にあたたかいし、凍える身体も心も優しく溶かしてくれるようです。題名にあるこのフレーズは、絵のタイトルを考えていた時に’sun’を辞書でひいて見つけた例文です。私たちの心も身体も一緒に温まるイメージ、それらを分けて考えないところが、いいなと感じました。
 これも地元のバラ園で出会った光景です。高い位置で咲くつるバラを見上げながら、少し頭を動かすと、花の間の光線が光ったり隠れたり、そして花や緑は無限のグラデーションを見せ動きます。頭を動かすことで得られる秒速で変化する光、色のグラデーション、実際この目で見たものに、絵画なんて到底かなわないと、いつも本物の自然を目の前にすると思いますが、それら移ろいゆくものを、四角く区切られたキャンバスという身体の外部に定着させる行為は、安心の行為なのかもしれません。すべては変わってゆくけれども絵画だけは安心できる、この画面の上では色の性質は一定だから、安心です。描くという行為、置いた色は定着し逃げないから。もちろん絵画も物なので風化しますが、絵画という現象は、そういう幻想によりかかっている部分があると思います。実体がない(そこにあるのは色)という意味ではイリュージョンですが、同時にイメージの顕在化でもあります。
「クリスマスローズ」 F80号 キャンバスに油彩 「クリスマスローズ」
 2009年に描き、展覧会後の2010年に少し加筆した作品です。
 本来は、展覧会後に加筆しなくてもいいくらいに仕上げられればよいのですが、発表ギリギリに仕上がる作品もいくつかあり、特にそれらは客観性を持って見れてない部分もあるので、しばらくしてから、一部、コントラストを強めるとか、明度をあげるなど加筆をする事があります。少し時間を置くと、何処をどうすれば、一段と良くなる、というのがはっきり見えます。
 描かれているのはクリスマスローズ。真正面からの大胆な構図。光のある絵、そして、大きく花を描きたかったので、このような構図を選びました。2009年はじめ、名古屋のギャラリーで始めて参加させていただいたグループ展で、少し手ごたえを感じる事ができ、よし、どんどん、大胆にやっていこう、と思った頃でもあります。
 また、この花はその展覧会で友達にいただいたものであり、クリスマスローズという花の存在、魅力を知らせてくれたのは、その友達姉妹です。この作品以降、クリスマスローズ(ヘレボルス)も、よく描く花の一つです。
「赤花」 F80号 キャンバスに油彩 「赤花」 

 赤バラの花芯にせまった作品です。この絵は大きいので、すぐ前に立つと絵に包まれているような感覚になると思います。そして、それが思いがけず、とても居心地の良い場所である事に気づきます。
 どうしてもこういう絵が描きたい、と思う過程について。こういう絵、とは、はじめは雰囲気であり、皮膚感覚、温度感、それから、色、光、そして、具体的な事象へと、だんだんに検証され、イメージがクリアになっていきます。ここまでで数ヶ月から一年くらい。別の絵を描いたり、他ごとをしたり、遠くへ出かけたりする中で考え、一方、目は、それを表現できそうな現象を外界に探しています。その感じを表せそうな具体的なターゲットに気がつくとカメラを持ち、モチーフに出会いに行きます。というような、感じが、一枚の絵のはじまり。また、これほど意識的にではなく、潜在的な感覚に導かれ、すばらしい光景に出会うということもあります。
 この絵の始まりに抱いた感覚は、 自分の中から、どんどん湧き上がってくる何か、あふれて枯れる事のない温かくやわらかい、そして、強い、何かがあるように感じるのですが、それを、外部に切り離して一枚の絵にしてみたかった。あるいは、その絵の感じを、私はこういうのいいと思うんだけど、どうかな?と他者がどう感じるのか、自分の感覚と人の感覚が、どれくらい一緒でどれくらい違うのか、確かめたかったのかも、と思います。

 

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