2009



「ばらの花」 S30号 キャンバスに油彩

「ばらの花」 (個人蔵)

 三重の、とあるバラ園で出会った光景です。
 初夏の午前、太陽を受けて光る花。
 中心が空で抜けている構図がとても気に入っています。
 それから、ちらちら輝き、光にとけていく葉っぱ。それら一枚一枚が、風を受け、別々にざわめく様子は、一つ一つに命が通っているという事を思い出させます。どこからどこまでが自分であるという事が、物としても、また、思考においても、実はあいまいである、がゆえの共振なのか。または汎神論の世界観。そして色即是空。
 その一瞬、言葉はすべて消え、光にとけてしまうような、時間が伸縮するような時のように。

「雌鹿」「雄鹿」 S3号 キャンバスに油彩 「雌鹿」「雄鹿」 (個人蔵)
 2007年夏、友達と奈良に旅行に行きました。三重と奈良は、となりにあるにもかかわらず、小学校の修学旅行以来です。子供の頃は鹿が大きくて怖かったけど、もう怖くない。
 右の若い鹿はその夏に、左は次の年の冬に出会いました。はじめは雌鹿を2008年に描いたのですが、雄雌ペアでいてほしかったので、もう一枚も描きました。東京での展覧会後、2匹が一緒に新しい持ち主の方のところへ渡ったと聞き、ほほえましい気持ちになりました。
 動物は言葉を話しません。とてもきれいな目をしています。人に比べて、無駄がないように見えます。ややこしくない。どうして、そういうふうにいられるのだろうと考えます。
 ある時、友達が奈良で鹿は神様なんだよと教えてくれました。なるほど、それでそこでは野生の鹿と人とが共存できるんだ、と思いました。
「ギフト」 S0号 キャンバスに油彩 「ギフト」 (個人蔵)
 和訳は、贈り物、才能、与えること。
 例えば、人の性質や特性は、才能、与えられたものであって、選べないところがあると思います。兄弟姉妹が何かに取り組む場面を見ていても、兄が得意なこと、姉が好きなこと、妹ががんばれる事、弟が価値を見出すことは、それぞれ違ったりします。それで、才能というのは、もちろん発揮したり循環させる方法を知っている人は幸いだと思いますが、自分の中にあふれたそれを、他の人にも分けられる、というところが重要だと思います。あるいは、あふれるから、一人では抱えきれないくらいのもの。
 それから、花を贈ったり贈られたりという行為が好きです。見えない気持ちを、しばらくの間だけでも見えるようにする方法として。
   





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